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2005年 07月 28日 ( 1 )
ささやかな矜持。

 結局、彼の本意は、固い表皮に覆われ過ぎて、陽の目を見ないで
 朽ちてしまう。したいことはできないし、できることはしたくない。*

暑い夏がやって来たようで
夏といえば、海・空・太陽なのだろうけど
僕の場合は、ほんの少し違います。

蒸し暑い部屋、草の匂いと渇いたグランドの土けむり
あとは、容赦なく照りつける太陽。
あからさまな悪意を誇示するかのような陽射しと
それが強要する圧倒的な諦念
つきつめれば、どこまでもネガティブな、死のイメージに逢着
そのせいもあってか、昼下がりに思い出すのは、父のこと、だったり。

どこにでもあるような、誰だって抱えているような
そういう、小さな小さな物語で
けれども、個人的には、どこまでも深く、重く
とてもとても大事に思えるような話

 気質的には完全に文学青年だったと思う。文学の造詣は、必ずしも深くは
 なかったが、明瞭にならない何かが語りたい筈であった。(だが)とうとう
 最後まで、ただの1行も書けなかった。
 平素、巷の埃を浴びていると、いちばん大切にしていたものと向き合う
 とき、ピュアになり過ぎて、身動きとれなくなってしまうのである。*

屈託が凝り固まったようなひとでした。
どうやら、本意とはかけ離れた生涯を送ったようで
だから、あまり笑顔の記憶がありません。
けれども、いったい何が彼の本意だったのかもよくわからない
恐ろしく無口な人でした。

父について語ること
ごくごく大雑把に言って、たぶんこれが、僕の仕事であるように思えます
それから、じぃさんやばぁさん、母のことも
贖罪、というか、何と言うか
あまり自信はないですが、たぶん、そんな感じです。

 パパは、たとえば川端康成の『雪国』以上に、雪がしんしんと降りつもる
 描写が書けるようになってから韓国のことを書いても、遅くはないと思う
 のです。それが、作家を志したパパの意地でもあります。*

4歳になる娘さんに語りかけるという手法で、自身の出自を綴った作品のなかで、
戯作者のつかこうへいさんが仰っていることばです。

僕の矜持も、ここにあります。
作家を志しているというわけではないのですが。


  引用文献 (*印箇所) 
色川武大  『怪しい来客簿』 (文春文庫 1989年)
つかこうへい『娘に語る祖国』 (光文社 1990年)
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by mockin_snofkin | 2005-07-28 22:52 | 来し方、行く末。